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「王さま」はいつからいたのでしょうか

おうさまはいつからいたのでしょうか 常設展示

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島根県立古代出雲歴史博物館に関するコンテンツについて

銅鐸のシンボルマーク

これは島根県立古代出雲歴史博物館の展示または館内施設に関するコンテンツです。


旧石器・縄文時代にはその形跡はありません。米作りがはじまった弥生時代には、「王」とも呼ばれる有力者が登場したようです。その証拠が巨大な墓です。「王」は出雲地域の代表者として、九州、岡山、北陸地方、中国や朝鮮半島の国々ともつながりをもっていたようです。出雲では、「王」の墓は四隅突出型墳丘墓という四隅が突き出た独特の形で作られました。


答え

写真は出雲平野を代表する大型の四隅突出型型墳丘墓、西谷3号墓の模型です。ここには岡山・北陸系の土器や中国産の水銀朱、中国産のガラス玉が出土するなど各地との交易を行っていた首長が葬られているものと考えられます。墳丘の裾には2重に敷石、立石がめぐり、墳丘斜面は貼石で覆われています。