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足腰にも効くパワースポット

あしこしにもきくぱわーすぽっと 

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韓竈神社これを「からかまじんじゃ」と呼ぶ。風力発電機のプロペラの立ち並ぶ島根半島の河下(かわしも)から出雲神仏霊場の2番札所「鰐淵寺(がくえんじ)」に向かう途中で右手(西方)に折れて唐川川をさかのぼっていくと、途中から舗装もなくなり、やがて韓竈神社の鳥居にたどりつく。ここで車をおりて自らの足で向かうことになる。見上げるほどの階段が鳥居の向こうに続いているので、まず立ち止まってしまう。


しかし、10年ほど前までは参詣する人もほどんど無かった神社で、参拝に来ても人に会うようなことはなかったが、今回は違った、なんと13人もの人たちに会った。それも子どもから年配まで、男女さまざまである。どこから来たのか伺うと、石見銀山、鹿島、邑南町。いずれも島根県内ではあるが土地の人間でないと分からないような場所なのに、と思う。

山の岩の大きなかけらを集めて作ったと思われるいびつで急な石段が延々とつづくので、誰しも途中で息を切らせて立ち止まるような参道。でも、まだ続くのかと思いながら大きな岩を曲ると行き止まりとなる。えっー?と思ってきょろきょろすると、そこに大きな岩の裂け目がある。その向こうに石段が見えるので、ここを通るのだと分かるのだが、これがメタボ検査のような幅となっており、苦しむ人もいる。
そこをなんとかくぐりぬけると石垣の上に、大きな岩に覆われた社殿がある。あまり小さいので、拍子抜けするかたもあるかもしれないが、このような場所までよく材料を持ち上げて来たものだと感心していた方もあった。賽銭箱の隣には、ノートブックが何冊も並んでいて、No.1ノートの書き始めは平成17年から。ブームはそこから始まったと思われる。合格祈願、家族の平穏、商売の繁盛、癌が治りますようにというものも。そして出身地は東京、神戸、宮崎、岩手からも満願成就、震災復興祈願とある。
お賽銭をし、手を合わせる人々。拍手が岩にこだまして山に吸い込まれていく。見晴らすほどの景色は無いが、良くここまで上がった自分を褒めている自分。
『出雲国風土記』(七三三年)には韓鞘寰ミ。延喜式神名帳(九二七年)には韓竈神社と記されている。社伝によれば、カラカマは朝鮮から渡来した「釜」を意味するとされ祭神の素盞嗚命が御子神と共に新羅に渡り我が国に「植林法」や「鉄器文化」を伝えたという。『雲陽誌』(一七一七年)によると、古老伝に「素盞嗚命が乗り給いし船なりとて、二間四方ほどの平石あり、これを「岩船」という。この岩は本社の上へ西方より屋根のようさしかかるが故に雨露も当たらず世俗に「屋方石」という。又岩船のつづきに周二丈余り高さ六間ほどの丸き立岩ありこれを「帆柱石」という。社への入口は 横一尺五寸ばかり高さ八尺ほどの穴があり、奥の方まで二間ばかりで、社まで通路がある」と記されている。
「岩船」は鳥居の左手の方に看板で示されてあり、そこが10台ばかりの駐車場となっている。また狭い岩の通路の片方が「屋方石」でもう一方が「帆柱石」となる。そして、こうしたスサノオノミコトの新羅往還の岩船は安来市広瀬町比田の岩船神社にもあって、岩が船の形をしている。岩が空飛ぶ船に見立てられるとは、一体どうしたことなのだろうか。




山の下にある鳥居、奥に階段が続いている

山の下にある鳥居、奥に階段が続いている

素盞嗚命が乗り給いし船と言われる岩船

スサノオが乗ってきた船と言われる岩船

岩の裂け目、ここを通り抜けると本殿

岩の裂け目、ここを通り抜けると本殿

本殿の扁額

本殿にかかるへんがく