のあるコンテンツは、島根県立古代出雲歴史博物館の展示または館内施設に関するコンテンツです。
なぜ「御取納」丁銀と呼ばれているのでしょう この銀は、今からおよそ450年前、正親町天皇(おおぎまちてんのう)の即位の時に、毛利氏が献上したものです。即位式の費用として納められた特別の貨幣だからこの名があります。「御取納」の刻印をもつ丁銀は現存唯一ともいわれています。
■常設展示
一畑電車の運転席に座れるの? 座れます。非常に狭い運転席の前には、旧北松江駅から旧大社神門駅までの運転席からの景色。まるで自分で運転しているような気持ちになれます。また車内では昭和30年代の懐かしい映像。ちょっと想い出にひたってみませんか。
「かわりばんこ」という言葉はここから出たの? ふいごを踏む人を「番子」といいます。一説によれば、番子が交替でふいごを踏み、炉に風を送ったことから「かわりばんこ」という言葉が出たといわれています。展示の天秤ふいごは実際に踏んでいただけますので、作業の大変さを体感していただけます……
玉の穴をよく見ると工具を回転させて穴をあけた跡があり、石や鉄のキリが使われたことがわかります。でもどうやって玉を固定して、どんなふうにキリを使って穴をあけたのかはわかっていません。現代ではまねのできない古代の職人技です。
旅の最初は、『松江しんじ湖温泉駅』を出発し宍道(しんじ)湖や沿線の風景を楽しみながら『一畑口駅』へ。最初は電車の“揺れ”に苦戦しつつも、窓の景色を楽しむ。宍道湖では“シジミ漁”をする数かずの船が、その風情を演出する。 駅の建物は古いものが多く、それすらも何かのセットのような雰囲……
『川跡(かわと)駅』で大社方面へ向かう僕たちは、電車を乗り換える。旅はいよいよ後半。 終点の一つ手前『浜山公園北口駅』からはふたりが別行動。ゆかりさんは「島根ワイナリー」へ向かう。出雲のお土産がほとんど揃うここで、再発見をしたいということだ。 いっぽう僕は、移築された豪農屋敷……
「温泉津」(ゆのつ)。「温泉の港」という名を持つこの街は、温泉津焼を生み出し、湯治客を癒し、銀山の生活を支えた窓口=港のある街だ。北前船によって生活必需品を得、温泉津焼を全国へと運んだこの港町は、静かにいまも全国から湯を求める人を受け入れる。
「古民家で、家具の工房をしているらしい。」 聞きつけてやってきたのは、雨の似合う閑静(かんせい)な住宅街。 「家具屋 Flat Style(フラットスタイル)」さんの建物は、古さゆえの美しさがあり、それだけで心はずむ。 どのような思いで、手作り家具がうみ出されているんだろう……
大航海時代の16世紀、世界で流通した銀のおよそ3分の1が日本の銀であり、さらにそのほとんどが、世界遺産「石見銀山」で産出されたものであったと言われています。戦国時代は、大量の銀は石見銀山近くの港から船で大阪に運ばれていたのですが、江戸時代になると中国山地を越え瀬戸内の尾道に至る……
伯耆富士「大山」とともに古くから信仰を集める天台宗の別格本山「大山寺」。その大山寺の分院「圓流院」が平成21年に再建。しかも百八体もの妖怪たちと賑やかに復活。はてさてその全容は?大山観光の新しい目玉になりそうな予感をはらんだ圓流院へ、いざ潜入!
美保関に古民家を改修して泊まれる場所ができたと聞いて、さっそく行って見た。一夜干しのイカが美味しい。ここは美保神社の諸手船神事など祭礼の町。また、半島の突端には白く輝く美しい灯台があり、隠岐に渡るには、この灯台を回り込むように日本海を行くところ。そんな海辺の港町に夜になって到着……
子供たちが体をゆすって、手をヒラヒラさせる。舞台では、いわゆる「ゆるキャラ」が揺れ動いている。そんな姿が古代出雲歴史博物館のエントランスに出現していた。舞台で音楽を奏でるのは、玉木さん、飯塚(めしづか)さん、深田さんのトリオである。 この日の島根版ゆるキャラは「しまねっ子」と「……
『島根半島四十二浦巡り』というものがあるのをご存じだろうか?なかんずく「いずもる」を好まれる趣向の方々であれば、知っておられる向きも多数おいでだろうが、ここはあえてビギナーモードで…つまり、観光気分のドライブモードで、ひとまず、鹿島町手結浦(たえのうら)の津上神社へ。
韓竈神社これを「からかまじんじゃ」と呼ぶ。風力発電機のプロペラの立ち並ぶ島根半島の河下(かわしも)から出雲神仏霊場の2番札所「鰐淵寺(がくえんじ)」に向かう途中で右手(西方)に折れて唐川川をさかのぼっていくと、途中から舗装もなくなり、やがて韓竈神社の鳥居にたどりつく。ここで車をお……
さてさて、スサノヲノミコトの天降ったと言われる船通山に行ってみることに。調べて見ると、標高1142メートルもある高い山だった。登山道も2キロメートル余りあるわけで、トレッキングシューズを引っ張り出し、リュックに水やおにぎりや着替え、雨用ポンチョなど詰め込んで、いざ出発。おっと忘れ……
天浮橋(あめのうきはし)に立った夫婦の神様が天沼矛(あめのぬぼこ)という長い棒のようなもので、漂っている国土をかき回すと、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった、と『古事記』に記されている。そして二人は生まれたばかりのこの島に降りて、日本の国土と数多くの……
平成23年、古代出雲歴史博物館開館5周年へ向けてひとつのプロジェクトがこっそりと、ほんとうにこっそりと進行していた。それは博物館の目玉のひとつ「神話シアター」の新コンテンツの作成である!これから新規コンテンツ作成までの苦難?の道のりをネタバレにならない程度に紹介していこう。
どうも、コボレです。仕事の傍らで、古代出雲歴史博物館のメルマガをせっせと作成しています。 今回、特別プレゼンターとして、こちらの記事を作成してみました。
年も押し迫った師走某日、我々はついに撮影初日を迎えることとなった。
はじまり、はじまり。 ある冬の日。 雲太くんと出雲ちゃんは、古代出雲歴史博物館にやって来ました。 (雲太)出雲ちゃん、今日は、博物館を探検しよう! (出雲)いいわよ、雲太くん!とっても楽しみっ。 こうして、中央ロビーへと入っていきました。 ロビーに明るい声が響くと……
出雲縁結び空港から車で3分は確かに出雲路の玄関。キャッチコピーの「お帰りなさいふる里へ」はその交通の便からと思いきや、二百余年の歴史を持つ古屋敷のたたずまいはまさに「ふる里」の感あり。落ち着いた店内も旅の疲れを癒(いや)すこと請け合いの懐古情緒満点。敷地内には製麺所、土産物、そ……
さて、筆者の怠慢により?!某漫画の連載のように間があいてしまったが、新規シアターコンテンツの制作秘話第三章である。
さて、不定期連載でお送りしている制作秘話第四章である。
いよいよ、新規シアターコンテンツ製作秘話も最終章を迎えることとなった。今回は、若干のネタバレも含むが、この映像の核ともいえるCGを担当していただいた「ナナイロ」さんに秘話を語ってもらうことにしよう。 ---
古代出雲歴史博物館では、2013年3月10日開館6周年を迎えた「開館記念無料デー」新たな体験イベントとしてカルメ焼きをレパートリーに加えた。この写真はその日の様子です。
古代出雲歴史博物館では、毎年春・夏・秋に「れきはくまつり」を開催しています。ここでは、夏に行われるそのイベントの中でも大変人気のある「勾玉づくり教室」と「藍染め体験」を紹介します。
出雲大社の参道入り口の勢溜から神門通りを下って、300メートルほどのところにある路地の奥に「ゑびすや民営ホステル」という黒地に白い手書き文字の看板が見える。いつも気になっていた看板である。「ゑびすや」はホテルでも旅館でもなく、ユースホステルでもないようだが、ゲストハウスだろうか?……
大社の風情ある町並みには人力車が似合う。明治時代や大正時代の大社の通りの写真を見ると、多いものでは8台もの人力車が分かる写真があって、中には山高帽のような黒い帽子を被った紳士が乗っている。明治23年(1890)にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が大社に来た時も人力車で馬場通りを進……
神門通りの坂のてっぺんにある勢溜(せいだまり)から神門通りを見下ろして、左手に「おくに茶や」がある。建物は大きく寄棟(よせむね)造りで目立つが、その大半はストーンアクセサリーの「めのや大社店」が占めているので、おくに茶やという店があるとは気づきにくいのだが、引き戸を開けて暖簾をく……