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大国主神に由来する六神山

おおくにぬしにゆらいするろくしんざん 

見る知る松江エリア平成時代

 出雲市の朝山は、以前この「いずもる」で「大国主が、来る日も来る日も通ったヒメ!?」として、大国主(大穴持)の愛の遍歴ぶりを書いたことのある場所である。そこに六神山(ろくしんざん)とか五山(ござん)とか呼ばれる山々があるというので、神戸川(かんどがわ)が山地から平野部に流れ出る口にあたる朝山へでかけてみた。


 行ってみて分かったのは、六神山と呼ぶときは、その山の一つは大国主が通った真玉著玉之邑日女命(マタマツクタマノムラヒメノミコト)の祀られる朝山神社がある宇比多枝山(ういたきやま)のことを言い、五山という時は、その宇比多枝山を除いた山々を指すらしい。
 朝山神社への登り口に地域紹介の地図があり、そこには六神山が描かれていた。1)宇比多枝山(ういたきやま)、2)稲積山(いなづみやま)、3)陰山(かげやま)、4)稲山(いねやま)、5)桙山(ほこやま)、6)冠山(かがふりやま)の6つの山だ。この山々は『出雲国風土記』に記されていて、それも大国主の所縁の品々に結び付けられている。出雲国風土記の神門郡(かんどぐん)朝山郷の山を列記したところに、「宇比多伎山。郡家の東南五里五十六歩なり。」とあり、そして小さな文字で 「大神の御屋(この山自体が大神の宮)なり。」とある。つづいて稲積山は「大神の稲積なり。」、陰山は「大神の御陰(髪飾り)なり。」、稲山は「東に樹林あり。三方は並びに礒(岩石の路頭した岩場)なり。大神の御稲なり。」、鉾山は「南と西は並びに樹林あり。東と北は並びに礒なり。大神の御桙なり。」、冠山は「大神の御冠なり。」とある。風土記の山の描写は、通常「檜・杉あり。」と記す程度であるから、大神に所縁の品々を象徴する山であると述べるのは珍しい。これについて、この朝山の地域が大国主の活動の拠点だったのではないかという説や朝山盆地の不思議な形の山などの神話的雰囲気が生んだ伝承かもしれないなど、いろいろな推測がなされている。
 しかし、山名と現在の場所のつながりは十分には特定できていないようで、特に冠山、稲積山などには諸説があって、その謎解きにぜひ現地に行って見ていただきたい風景と思う。その時に、『出雲国風土記』には記されていないが、ぜひ行ってみてもらいたい場所として、「神守岩(おこもりいわ)」がある。朝山を通る国道184号線から朝山神社に上る脇道に入って、道を登りきって右が朝山神社というところで、左の舗装の無い道を約400メートル行って車を止め、山道を400メートルほど登るとこの神守岩に行き着く。大きく横に口を開けた窟(いわや)である。横に5メートル中へ5メートルぐらいの広さで、昔はもっと広かったのかもしれないが、崩れた岩で埋まったような感じである。この窟に大国主と真玉著玉之邑日女命がこもったというロマンチックな伝説がある。朝山神社前には案内板もあるが、普段は人気のない山道なので複数人での行動がおすすめである。
 この神守岩はコウモリ岩とも呼ばれていて、この2つの地名がカンムリという言葉へと結びつき、この岩の近くの山が冠山と言われるようになったのではないか、という説がある。一方で冠山は桙山の隣の岩山とする説もある。
 また、稲積山も杉尾神社のある丘ではなく、その西隣にあって今は道路で分断された船山と呼ばれた丘陵ではないかとする説もある。せっかく大国主にちなむ品々が山になっているので、なにか特定する手がかりが無いものだろうか。このモヤモヤも古代ロマンの魅力かもしれないけれど。



六神山のGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。
1)宇比多枝山(ういたきやま):35.318747, 132.775182
2)稲積山(いなづみやま):35.325522, 132.776781
3)陰山(かげやま):35.321189, 132.779281
4)稲山(いねやま):35.323911, 132.779775
5)桙山(ほこやま):35.323447, 132.783552
6)冠山(かがふりやま):35.315822, 132.782082
※神守岩(おこもりいわ):35.313155, 132.779578
※岩根寺(いわねじ)駐車場:35.323577, 132.779485




近い方からは陰山、稲山、桙山の順番となる

左から稲山、こぶ二つの桙山、陰山

岩根寺は高さ約10mの断崖の下のくぼみに建っています

陰山の断崖の麓には岩根寺

杉尾神社の本殿後方に祀られている神々

稲積山にある山の神

幅5メートルぐらいの岩の穴になっている

神守岩の裂け目