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出雲大社の創建にかかわる場所とは

いずもたいしゃのそうけんにかかわるばしょとは 

見る知る出雲エリア平成時代

出雲大社の創建はいつだったのか。一般には、「国譲りした時でしょ。」とか良く言われるが、実は、これが多くの研究者が取り組んでいる難問であって、『古事記』『日本書紀』の国譲り神話には、出雲の国を譲る代わりに大きな御殿を立てることになったことは描かれているが、それが何時だったのかは書かれていないである。いついつ建てた。という証拠資料が見当たらないのである。


では、創建がいつなのか問わずに、誰が建てたのかというと、に創建に触れた部分があるのだ。
『出雲国風土記』の楯縫(たてぬい)郡の条に、「天つ神が住む宮と同じように〜略〜オオクニヌシの住む宮を作ってさしあげなさい。」と言った神魂(かむむすひ)命は、御子の天御鳥(あめのみとり)命を天から下されて、大神の宮の御装束として楯(たて)を作られた場所がここである。今に至るまで祭具としての楯や鉾(ほこ)を作って神々に奉っている。だから楯縫というと、楯縫郡の地名由来として書かれている。
この楯と鉾を作るとは戦の道具を指しているだろうか。大同2年(807年)に斎部広成(いんべのひろなり)によって編纂された神道資料『古語拾遺(こごしゅうい)』に、「瑞殿(みずどの)」を造営するために「兼ねて御笠と矛盾を作らしむ」とあって、これは本殿造営にあたって屋根に見立てた笠と柱に見立てた鉾、そして壁としての楯を作ったと考えられている。4世紀末頃に作られたとされている大阪府八尾市の美園古墳から出土した家形埴輪の壁に、盾を表す線刻があり、悪霊の建物への侵入を防ぐ意味と解釈されていることともつながっているのだろう。
この楯縫郡で出雲大社造営の時に楯としての壁や鉾としての柱が作られて、出雲大社へ運ばれたのだろうか、後の時代には、楯と鉾の飾りを作って各地の神社が造営される時に、悪霊退散の為に奉納していたと考えられている。
 さて、出雲大社の造営に関わった天御鳥命が天下ったという場所はどこなのか。『出雲国風土記』には記してないが、風土記の研究者として有名な関和彦氏によると、楯縫郡の阿豆麻夜山(あずまややま)ではないかという。阿豆麻夜は東屋であり、寄棟の屋根を示し、阿は屋根の頂点から屋根角にむかって下がる隅棟(すみむね)のことと思われる、と言っている。阿豆麻夜山の現在名の檜ヶ山(ひのきがせん)は、まさに山の頂上が誰かが削り取ったのではないかと思えるほど平らになっており、それが両側に滑り落ちる隅棟を形作っている。さらに、関和彦氏は、『万葉集』から神豆麻利を引いて来て、神づまりの言葉の基幹となる「つむ」は「散財するものを集めおさめておくところ」と解して、阿豆麻夜山は神々が集まる山と推測していた。
それならばと檜ヶ山に向かった。平田の町を北に抜けた田園地帯から見えるいくつかの山の中で、ひときわ頂上の平らな檜ヶ山が目に入る。登山口は多久谷町にあった。道の奥に数軒の家があり、その裏側から登るのだ。登山口の看板もあって日頃からハイキングなどの利用者があるのだろう。矢印看板に従って進むと、登山は少々きつい山道であったが、迷うことなく山頂へとたどり着いた。広い頂上の、西側の木立の合間から出雲市の市街地方向をみることができた。西の出雲北山や宍道湖の西岸部分あたりまで遠望できた。また、頂上の北側では、眼下に港が見えた。波止場の形などから、美味しいアマダイの漁で知られる小伊津漁港と思われた。その向こうには日本海が広がっている。海に近いのだった。
この楯縫郡には楯縫郷の他に、佐香郷、玖潭(くたみの)郷、沼田郷がある。佐香郷は、八十神(やそがみ)たちが酒を作らせて百八十日間も宴会をしたのでその名が付いたので、日本酒発祥の地として伝わっている。また、玖潭(くたみ)郷には、オオクニヌシが天つ神の食料とする神饌田で獲れた米を保存する御倉を探して巡っていた時に「波夜佐雨久多美乃山(はやさめくたみのやま)」とおっしゃったので地名が付いたという。さらに沼田郷は、宇乃治比古命(うのぢひこのみこと)という神が、尓多(にた:湿地)の水で携帯用の乾いた米をふやかして召し上がろうと言ったので尓多という名前が付いたという。「はやさめ」はにわか雨とされ、酒づくりには良質の水が必要であり、尓多の湿地も水が思い浮かぶ。
楯縫郡は神々と水に関係が深い場所に思える。郷土誌「はやさめ久多美」を開いてみると、この地域の土壌は重粘土地帯で古来より灌漑は溜池によっていたのだと、水が溜まりにくい地層なのだろう。寛政年間の記録にある主な溜池は126ヶ所、昭和14年の大干ばつの際の調査では、小池も合せて630に及んだとあった。恵の水への希求が地名を生んだのではないかと思われるのだが、どうだろうか。

この出雲大社の創建にかかわる場所とは、に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を示します。

檜ヶ山の登山口   35.482183, 132.838923
檜ヶ山山頂     35.484834, 132.835010




北に臨むひのきがせんの山容

頂上が平らな檜ヶ山

登って行くと山頂付近には、いわくらのような大岩があった

山頂近くの岩

木立があるが、広く、かつ平な山頂だった

檜ヶ山の平らな山頂

山頂を北側の端まで行くと、日本海と小伊津漁港が見えた

山頂から北側に小伊津漁港が見えた