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星神まつる星上山に星の池

ほしがみまつるほしかみさんにほしのいけ 

見る知る松江エリア平成時代

星上山(ほしかみさん)と言うロマンチックな名前の山が松江にある。頂上付近には星上山スターパークなる聞いただけで、泊まってみたくなるようなバンガローの宿泊施設があった。しかし今は朽ち果ててしまっているが、そこから稜線をたどって東へ向かうと星上寺(せいじょうじ)があり、 さらに那富乃夜(なほのや)神社がある。そのまた向こうに星上山頂上と中海を望む展望台がある。


この星上山は戦国時代に毛利元就が安来は広瀬の月山富田城の尼子を攻める時に本陣を置いたこともあるという。また、星上山合戦という戦場にもなったようだ。当時、尼子も毛利も水軍を動かしており、中海や宍道湖を行く船を監視できる星上山は陣を構えるには格好の場所だろうし、だからこそ奪い合いになったのだろう。
山頂へ参詣道があると聞き松江市八雲町に行くと、別所ほほえみ会館が登山者の駐車場となっていた。そこから歩き始めると間もなく出雲民藝紙工房があった。その出雲民藝紙の創始者で和紙一筋にその美を追求し、人間国宝であった故安部栄四郎の自宅だった住居も残っていた。その家の角塀に、星上山登山道入口 仁王門まで200m左矢印の看板が取り付けられていた。それに従って田舎の細い道や石段を進むと、林の中の仁王門に着いた。堂々たる仁王門で、近くに星上寺まで20丁の表示とお地蔵さんが並んでいた。一丁が約109メートルなので、約2.2キロメートルの参詣道となるのだ。しばらく進むと19丁、さらにしばらくすると18丁と順番に一丁地蔵が迎えてくれる。参詣道は人が良く歩くのだろう。道の幅が2メートルほどあって歩きやすい。10丁を過ぎたところに、松江市魚町の人々の寄進による不動明王像、その背後には大きな三角の形で再興記念碑と刻まれた石碑があった。周囲には、四国霊場八十八ヶ所めぐりを示すこちらは座ったお地蔵さんが一番、二番と一丁地蔵よりははるかに近接して並んでいた。石碑の後ろの少しだけ高くなった丘陵を周るのだと思われる。石碑に彫られた世話人の一覧に安部栄四郎の名前を発見した。
ここまでが参詣道の半分だ。参詣道の一丁地蔵には、寄進した方の住所として東伯郡(鳥取県)や塩津(出雲市)など遠方の地名が見え、また三十二才男とか某女外三名などと彫られたものもあって面白いので、ついお地蔵さんがあると近寄ってしまう。10丁あたりからの竹林を過ぎるとゴツゴツした大きな岩や高木の見られる山中となり、山岳修行の場であったことを感じさせる雰囲気となってくる。道の脇には高さが10メートルは下らないと思われる大木もあって、幹に取り付けられた白いプラスチック板にモミと書かれていた。そこから大きなモミの木を探しながら上ばかり見ていると、いつのまにか1丁のお地蔵さんにたどり着いた。
まもなく道が平らになるとお寺と感じさせる石段や灯籠があって、モミの木と杉の大木がそびえる中を進むと大きなお堂があった。これが星上寺である。由来は、聖武天皇の天平2年(730)10月、「夜に漁師が中海で風雨にあって難儀したとき、大慈大悲の観世音菩薩をしきりに祈ったところ、星の光が星上山の上に現われ、闇夜を照らしたので、漁師は難を逃れることができた。翌日、漁師が星上山に登ると、山頂より二町(約218メートル)ほど下ったところに小さな池があり、水面を覗き見ると、十一面観音の姿が映っていたので、池のほとりに近づくと観世音菩薩が出現した。漁師は感涙にむせび、観音の徳を四方に伝え、一寺を建立し、星上寺という。」これが、寺のはじまりのようだ。
この伝説は『出雲札観音記』に記されており、他にも、「安徳天皇が当寺の十一面観音の霊験によって病気が全快されたので、天皇の御命令によって、安徳山星上寺となり、講堂・経堂・僧坊四十二坊・大門・仁王門が建てられ、云々」ともあるという。由緒のあるお寺のようだ。
星上山という山名の由来はなんだろう。これには、星上寺の奥にあり出雲国風土記に記載される那富乃夜神社が関係しているようである。出雲国風土記では、山の名前は荻山(おぎやま)とされている。
拝殿の壁に取り付けられた由緒書によると、この社は星の神様を祀るという。その名前は、星神香々背男命(ほしがみかかせおのみこと)である。『日本書紀』に登場する神で、オオクニヌシがアマテラスに国譲りした後も、最後まで高天原の神々に従わなかった神とだという、なかなか気骨のある神様である。香々(香香:かか)は星の輝きを表しているらしい。この社に合わせて祀られている神がもう二柱ある。神香々背男命が最後まで背いた相手ともいうべき二神、国譲りでオオクニヌシに対峙したタケミカヅチとフッツヌシという武神たちである。さぞ戦国時代には武士にも尊ばれたことと思われる。
この那富乃夜神社にも伝説があり、由緒書の続きには、「神社後方100メートル下に星の池があります。この池は古くは三つあったが、今は一つ残っています。この池の水が濁る時は、その年は水害の年と古くより伝えられ神聖な池とされています。星神さまの霊験(おかげ)は数多く人々の幸福の導き神として鎮まっています。」とあって、星上寺の由来となっている星の池に、那富乃夜神社も伝説を持ち、聖地としているのである。星の池は、残った一つも池になっていなかったが、木の垣根の中にお地蔵さまが祀られて、その背後の苔むした岩から石清水が湧き出ており、音を立ててしたたり落ちていた。
このように神仏ともに崇敬を集めていたようだから、里人の呼び習わす星神さんが星上山になったのではなかろうか。


駐車場     35.393144, 133.114798 (別所ほほえみ会館の登山者駐車場)
安部栄四郎旧居 35.391706, 133.116665
仁王門     35.392382, 133.118084
星上寺     35.388070, 133.133437
那富乃夜神社  35.388475, 133.134908
星の池     35.389140, 133.134701
展望台     35.388744, 133.135971
星上山頂上 35.388326, 133.135700




かやぶきの屋根がどっしりた門

仁王門

地蔵さんの脇に10丁と書いた柱が立てられている

一丁地蔵さん

この写真より左手には宍道湖や松江の中心地も見える

中海を一望できる展望台

地蔵さんを囲んで木の柵がある背後には清水のしたたる大岩がある

星の池