メニュー


卑弥呼が贈った財宝かも

ひみこがおくったざいほうかも 

見る知る出雲エリア平成時代

『出雲国風土記』に埋蔵金伝説のようなお話がある。大原郡神原郷に書かれている「大国主が神御財(かみのみたから)を積み置かれたところである。」というくだりである。風土記が書かれてから約1250年後の昭和47年、神御財ではないかというものが掘り出された。それは、『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に伝えられる魏の皇帝が邪馬台国の王、卑弥呼に贈った「銅鏡百枚」のうちの1枚ではないかとされる鏡。


その銅製の鏡は三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)といい、今では、とても有名なもの。そこには当時の中国大陸の国、魏の年代である景初(けいしょ)三年という文字が彫ってあった。景初3年は西暦239年であり、出雲国風土記の成立よりもさらに500年ほども古い。それほど昔に財を置いた。ことが言い伝えられていたというわけだ。

当時の発掘調査に携わった人たちは、そんなこととはつゆ知らず、昭和47年8月に2週間程度で発掘調査を終える計画を立てて、取り掛かった。ところが、掘ってみると古墳の規模も想定より大きく、なによりも三角縁神獣鏡が出土したことから、これは大変だとなって、発掘予算は当初予算の約6倍になり、神原神社遺跡の発掘作業は翌年も継続されるという大発掘事業となった。また、県内や当該地域では、倭の女王であった卑弥呼のお宝が出た。と大きな驚きが広がった。

もっともこの財というのは、神原神社から北西に2キロメートルほど離れたところにある加茂岩倉遺跡から出土した大量の銅鐸を指すのではないかという意見もある。
神原神社古墳は、もともと古墳の上に神社が建っていた。現地は、斐伊川の支流、雲南市加茂町の赤川の土手の脇にあった。土手の上を車で行くと小さな駐車場があって、そこから少し下がった場所に移築保存された遺跡があった。頑丈そうな太いコンクリートの柱で支えられた屋根の下に、平たい石を重ねて並べ、蓋がされた長さ7〜8メートルぐらいもある大きなものだ。ところどころから石室の中が覗きこめるようになっていたが、照明がないので中は薄暗く、肉眼では様子がはっきりわからない。カメラを掴んだ手を思い切り伸ばしてシャッターを切ると、石室は平たい石を積み上げてできていた。この大量の石から元の石室を復元する作業は大変だっただろうと思われた。建物の屋根の端には、発掘当時の写真がいくつも展示されてあった。その中に、目の前の石室のようなものが写った一枚があった。石室の上になにやら建っているのが、古墳の上にあった神原神社であろう。今の神原神社はこの展示建物の隣にある。

調べてみると、この斐伊川上流に位置する赤川の流れは、大雨で氾濫することがたびたびあったようだが、人口が増えて平地に人が住むような時代になると、川から水が溢れれば家屋に被害が出る。昭和39年に加茂町は大水害に襲われた。中心地区の加茂中一帯の約350戸の全戸が水没して全壊となり、うち約40戸が流出したという。このため、赤川の拡幅が計画された。その新しい土手が神原神社の本殿を通ることになり、わずかであるが移動することとなった。そのため本殿下にあった古墳の発掘作業が行われ、その予想外の重大な発見から古墳も移築保存となったという。

元々の古墳、石室の位置は、どこだったのか。展示建物の中には何も示されていない。発掘報告書を読んで行くと、保護と活用の項目があって図面があった。元の本殿は、現在の本殿よりおよそ30メートル後方で、それもわずかに左後方という感じである。現在の堤防の上を通る道路の川側の斜面となる部分に古墳はあったとわかる。
大きさは、「神原神社古墳は、調査の結果、少し歪な方形で、規模は南北27〜30m、 東西22〜26m、 高さ6.9 m前後であることが判明した。」と書かれていた。

赤川が緩やかに曲がるその内側にできた、川に向かって階段状になっている地形、河岸段丘の上に築造されていた。神原神社で有料配布されていた大正年代初期の巻物の写しによると、古代には松井淵という東西に約145メートル、周りが約300メートルの大きさの淵があったようだ。神の池とか神長池とも呼ばれたようで、神原松井大明神として祀られていたともある。川底が下がったのだろう、大正時代には神長池は姿を消したようだ。
それにしても、三角縁神獣鏡を手にした人物、そして周囲の人々は、ここでどのような暮らしをしていたのだろう。

参考資料 神原神社古墳 加茂町教育委員会 2002年3月

神原神社古墳  35.346375,132.896107
移築前の神原神社古墳と思われる場所  35.346702, 132.895837




丸い銅製の鏡、錆びて青緑色になっている

出土した三角縁神獣鏡の展示写真

内部は平らな石が積み上げられた石壁となっている

移築保存された石室の内部

旧本殿の下に石積みの古墳が見えている

移築前の古墳と神原神社の展示写真

現在の本殿の後方の土手の内側斜面にあたる部分

移築前の元の場所は近い、赤丸のあたり