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極細の出雲そば、ここにあり

ごくぼそのいずもそば、ここにあり 

見る知る体験する出雲エリア平成時代

神門通りの坂のてっぺんにある勢溜(せいだまり)から神門通りを見下ろして、左手に「おくに茶や」がある。建物は大きく寄棟(よせむね)造りで目立つが、その大半はストーンアクセサリーの「めのや大社店」が占めているので、おくに茶やという店があるとは気づきにくいのだが、引き戸を開けて暖簾をくぐると、店内は思った以上に奥深く天井も高い、その奥へ進むと横に長い窓があって、そこの居心地が良い。


明るい窓際に座ってメニューを開くと、そこには出雲そばが並んでおり、その中から、一際目を引く、海苔が山のように盛られた磯のりそば1,350円(税込)を選んだ。しばらくして運ばれてきたそれは、おお!と声を上げたくなるほど、海苔が黒々として山になっており、器の中に蕎麦はあるのかと思うほどだった。
さっそく、付いてきた出汁を回しかけて、その黒山と下にあった蕎麦を箸で少し混ぜて合わせて、口に運ぶと海苔がパリパリと音を立てて磯の香りが口内に広がって、甘めの出汁が絡んだ蕎麦を味わう。こちらの蕎麦は出雲そばでは珍しい細麺で、神門通りを下ったところにあるそば・甘味みちくさの細麺とどちらが細いのかと思うほどだった。それでもしっかりした麺のコシがあるのは、蕎麦粉8〜9割として調合し、季節に応じてコシの強さや喉越しの良さを追求しているからだ。
また、蕎麦が隠れるほどの大量の海苔を乗せて出すところも他に知らない。聞くと、こちらの海苔は、出雲で色が黒く、風味が強い高級品として有名な十六島(うっぷるい)海苔の種類を養殖したものだそうだ。十六島は出雲大社の後方の山を越えた日本海に面する漁港の一つで、出雲を代表する海苔の産地。中でも、かもじ海苔とよばれる極上品は10グラム1000円程度する。奈良時代の『出雲国風土記』には、十六島周辺の海苔が最も良いと記されており、松江藩の殿様が海苔の羽織を着て歌舞伎見学に行ったという逸話もあるそうだ。
この他、伝統的な割子(わりご)三段930円(税込)もある。地元のそば屋では三段重ねられて出てくるが、出雲大社では、たくさんあると見えるからか、3つの器を重ねずに並べて出すところ多い。食べ方は器の一つに出汁を入れて食べ、食べ終わって出汁が残っていれば、次の器に移し入れて出汁や具を足して食べるという食べ方である。その3つの器のそれぞれの具が異なる場合は、三色割子となる。
おくに茶やは、出雲大社の勢溜の前にあって立地が良い。出雲大社の平成の遷宮に合わせて開業かと思い、店主の金山正行さんに聞いたら、なんと創業は116年前の明治41年(1908)という。金山さんの初代にあたる曽祖父が始めたお土産屋だったと聞いているそうだ。明治45年には鉄道が今市駅(現在の出雲市駅)から大社駅まで開通し、参拝者も増える頃だった。大正時代の初めの頃に、地域の若い人たちが商業振興を目的に勢溜の内に「大社物産陳列場」という土産販売所を作っていたが、大正12年(1924)からの出雲大社神苑の拡張工事で、神門坂東にあった曽祖父の始めた店に移転して大社物産館となったと伝わっており、大社最大の店舗面積を誇る土産品店になったという。店内には、松江藩の彫刻家として有名な荒川亀斎の造った野見宿禰(のみのすくね)や出雲阿国の木像などがあって、宿禰餅(すくねもち)が人気だったという。
そして3代目となる金山さんの父が、およそ40年前に大社物産館に隣接して、ぜんざいや抹茶、そして当時の喫茶店ブームに乗ってトーストなども提供するおくに茶やを開店した。その後、鉄道の大社線の廃止とともに、大型レジャーブームの中で大社観光が減少する中、大社物産館とおくに茶やは1990年代の後半には閉店し、しばらく古代出雲大社模型展示館「雲太」として利用されていた。それが、出雲大社本殿の遷座祭のあった2013年春に新築してオープンしたのが今のお店である。
金山さんは、小さい頃におくに茶やの手伝いなどをしていたそうだが、父から店を引き継ぎ、その運営や蕎麦打ちなどにも慣れて来たという。そこで、新規開業10年を機に新たな蕎麦メニューの開発にチャレンジしており、2024年春ごろから新メニューを提供する予定とのことである。

おくに茶や
営業時間 10:00〜16:00 *季節に応じて変更あり
定休日  不定休
TEL    0853-53-2356
住所   大社町杵築南731(出雲大社門前)
駐車場  なし




そばが隠れるほど黒々としたのりが乗っている

磯のりそば

店の奥にある窓の広がるカフェ風の空間

おしゃれな店内

わりごと呼ばれる丸い器に入った蕎麦が三個並ぶ

出雲そばの定番、割子そば

お店の外観