雪をかぶる秀峰大山を背景に千羽以上もの白鳥が飛来し、優雅な姿を見せる安来市の白鳥ロード。その道沿いに、なにやらご利益のありそうな出雲路幸(いずもじさい)神社がある。飯梨(いいなし)川にかかる能義(のぎ)大橋の西のたもとの下に、安来名産のドジョウの養殖池に囲まれた鎮守の杜があった。その杜の中に車が停められた。静かな杜の中を鳥居の方へ歩くと、足元に60〜70センチ四方ほどの土色をした岩があった。
その岩の後ろの黒光りする御影石には、平安時代の豪傑弁慶の母がこの社を訪れて、縁談を祈願した場所で、その縁談が叶って弁慶が生まれ、大きくなって母ゆかりのこの地に参詣したと刻まれていた。岩は「弁慶腰掛岩」。
この社から北西へ中海を横切って直線距離で15キロメートルほどのところに本庄(ほんじょう)という場所がある。そこの長見神社には、弁慶が書いたと伝わる長さ30メートルにもなる『弁慶願状』という巻物が伝わる。この巻物には弁慶の誕生から幼少期のこと、長じた弁慶が母の生まれ故郷の紀州を訪ねることなどが書かれている。ただ、出雲路幸神社を訪れたとは無いので、弁慶が大山中腹にある大山寺の釣鐘を背負って、出雲にある鰐淵寺まで運んだ伝説もあり、ここに立ち寄ったのかもしれないとか、弁慶が座ったというには岩がやや小さいのでは、などと思いながら鳥居をくぐる。
ここ出雲路幸神社には猿田彦神と天鈿女命(あめのうずめのみこと)が祀られている。猿田彦はニニギノミコトが天降る時に、道案内をした神様である。実は、もう一つ出雲路幸神社(いずもじさいのかみのやしろ)という神社が京都の下鴨神社近くにあって、京都の鬼門を守る社という。安来の社との関係は双方共に分からないらしい。
境内を歩くと他に天神社(佐為高守神社)や愛宕神社があった。弁慶の腰掛岩といい、境内の静けさといい古くからの神社と感じられたが、実は以前の鎮座地は他の場所だった。飯梨郷土誌には「もと道祖松井宮とも称し今の境内地を五百メートルばかり隔てる狭井原に鎮座していたのを、天神社の境内であった狭井山(現在地)に移し奉るという。」とあった。松井宮と呼ばれたのは、社から400メートルほど西にある西松井集落の神社であるからだろう。そこで、地元の飯梨交流センターや安来や広瀬の図書館などで調べたら、出雲路幸神社は西松井集落とともに過酷な歴史を背負っていた。
まず出雲国風土記によると、当時の飯梨川は野城(のぎ)河と呼ばれ、長さおよそ90メートル、幅およそ8メートルの野城橋がかかっていた。それは、ここに古代山陰道が通っており、このあたりに野城駅がおかれ、馬が5頭おかれて公文書の運搬や役人の往来の要の場所だったという。西松井集落の松井は馬継(うまつぎ)が訛ったものと考えられ、駅家(うまや)の跡ではないかと言われる歴史的価値に溢れる場所。ちなみに今の飯梨川は能義大橋あたりで川幅がおよそ150メートルあり、能義大橋の道幅は約9メートルであるので、橋の道幅は古代とほぼ変わらない。大きな橋だったのだ。
風土記編纂から一気に800年ほど時代が下った戦国時代には、川は富田(とだ)川と呼ばれ、流路は今と違って、もっと西側の車山の麓を流れていた。今の飯梨川から700メートルぐらいも西側ということになる。出雲路幸神社は、その富田川の東の岸辺にあって、なんと天神社もほぼ隣接してあったようだ。それは、川の上流の月山富田城跡の麓にある巌倉寺が所蔵する戦国時代の絵図の写しに、松井の文字が今の能義神社の北側にあり、才ノ神社と天神社が共に社を構えて富田川のほとりに鎮座していた。(写真は、絵図の写しの解読図)
(ライター 三代隆司)
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この 出雲路幸神社、流転の歴史 に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を以下に示します。
出雲路幸神社 35.403309, 133.215639
西松井集落 35.403523, 133.211771
潜塚 35.405282, 133.210320
参考資料
式内社調査報告 第20巻 式内社研究会 1983年 出版者 皇学館大学出版部
安来市誌 安来市誌編さん委員会 平成11年 発行 安来市
飯梨郷土誌 飯梨郷土誌編纂委員会 平成6年 発行 飯梨公民館
飯梨郷土誌別冊 飯梨郷土誌編纂委員会 平成6年 発行 飯梨公民館
島根県能義郡飯梨村誌 昭和11年 発行 飯梨村尋常高等小学校
能義郡神社明細帳(1) 昭和21年
安来・能義地名考 日本海新聞 平成2年4月12日版 日本海新聞社
安来の地名について 平成6年 編集・出版 安来市老人クラブ連合会
飯梨地区の古代山陰道 池橋達雄 1993年 出版者 池橋達雄
出雲国風土記の駅路 著者 池橋達雄・野津浩志 2004年
長見神社蔵弁慶願状 解読 島根県立図書館所蔵で中上健次氏の解読・寄贈
絵図関連
山陰の鎌倉 出雲広瀬 編纂 音羽 融 平成8年 発行 音羽浩武
明治15年ごろの飯梨村絵図 飯梨交流センターに掲示されていたもの
デジタル絵図について
島根大学附属図書館デジタルアーカイブ
https://da.lib.shimane-u.ac.jp/content/ja/
1633年の寛永出雲国絵図
1636年の出雲國古圖(狩野為信画)
1830〜1844年頃に描かれたとされる雲陽十郡絵図
以上