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伊志見國造が祀った神社

いしみこくぞうがまつったじんじゃ 

見る知る出雲エリア平成時代

今回は宍道湖に流れ込む川の水に石をつけて雨乞いをする神社のお話。その名も雨乞い石というのだそうだ。この「いずもる」では、雨乞いの伝説を持つ神社として、ヤマタノオロチの骨と伝わるものを宍道湖の水に漬けて祈るという大野津神社を紹介した。大野津神社は宍道湖の北側であり、今回の雨乞い石のある伊甚(いじん)神社は宍道湖の南側の松江市宍道町伊志見(いじみ)地区にある。


行ってみると、広い境内と鎮守の杜のある神社だった。場所は出雲空港から南へ直線距離で2キロメートルほどである。空港と神社の間は、江戸時代後期に新田開発のために埋め立てられたところであるので、古代には伊甚神社から宍道湖がすぐそばに見えたであろう。
『出雲国風土記』に伊自美(いじみ)社と載り、平安時代に編纂された『延喜式神名帳』には伊甚神社と載る。その神社名を『式内社調査報告』では「いしのかみのやしろ」としている。また、『出雲国風土記註論』では、風土記の伊自美を濁らずに「いしみ」と読み「石見」の意味だとしている。
雨乞い石とつながりのある社名なのかもしれない。その雨乞い石はどこかと探すが見当たらず、目に入った大きな石の塊に近づくと、それは来待石の塊のようだが、良く見ると頭部の崩れた牛と思われる石像だった。台座の下にころがっていた来待石と思われる石を拾いあげて、崩れたと思われる場所にあててみると、牛の顔になった。
さらに雨乞い石を探して近寄ってみた岩は手水鉢だった。これでもないのかと周りを見ると、手水鉢の前に置かれた真新しい猪柵の傍に高さが1メートはないのだが大きな石の塊があった。境内を隈なく探したが見当たらないので、これではないかと思われた。この石を社の東側を流れる伊志見川の河口まで運んで、水に沈めて雨乞いをしたというが、石は、とても一人では抱え上げられそうに無い大きさだ。相当の力持ちで抱え上げたとしても、伊志見川河口までは抱えて歩けないだろう。神の御宣託をうかがう神聖なものだから、きっと神輿のように大勢で担いで運んだのでは無いだろうか。後に宮司に聞いたら、手水鉢の前の石が雨乞い石だと教えてもらった。
この伊甚神社は調べてみると、大きな謎のある神社だった。『式内社調査報告』に、社記に「往昔伊志見國造が祀った神社で、維新前までは遷宮(二十年)毎に出雲大社古材を受けて造營することになってゐた」とあった。また、「伊志見(伊甚)は、出雲國造の祖である建比良鳥命の縁の地であって、その子孫が東國移住の際、その地名を唱へたものと思われる。」としている。
この東國とは、古事記に伊自牟(いじむ)、日本書紀に伊甚(いじみ)として登場する地名のある千葉県の房総半島のことである。古墳時代のことであるが、大和政権が新たに統治した地域を治めるために、すでに支配下にあった各地の国造等に命じて統治させていたという。
古(いにしえ)の時代に出雲国からはるか彼方の房総半島へ移住して見知らぬ地域の統治を任されるのも大変な任務であったであろう。伊甚神社周辺は、そんな祖先がいた地域なのであった。
境内で見つけた牛の像であるが、昭和初期まで、伊甚神社御戸開祭という的射神事と御田植神事が行われていて、その御田植神事に牛が重要な役として演じられていたそうだ。その田植えの苗には松葉を用いて、田は薦(こも)を敷いて見立てたという。
『宍道町史』からその一部を紹介すると、神事が進行して田打ちが終わると牛売人と牛が登場し、牛売人が「綱から黄金の綱、眉には日輪月輪の文字を戴き、両方の眼では三千世界を見開き、両方の鼻では八方れんげを引散らし、口には精の米をかみたれ、角の長い短いの悉細(いわく)は。右の方の長い角では伊志見の郡の悪事災難の来るところ突き除ける、左の方の短い角では伊志見の郡の福徳幸い来るところを突き入れる、首には世の中平の鞍を置き、四つの足では天かん地かんしそうこつこつ、腹には一尺二寸の長ぼたん」と口上すると、髭長が「縁起良き牛を買い入れ来る」と述べ、斎主が「牛に代をひかせて田植えをして下され」これにより、牛を三度引いて代をかく〜(略)〜。というような問答のある御田植神事がなされていたという。
こうした田植えに牛が貴重な存在であり、それがまた除悪招福の豊作を祈る縁起を良いものとして受け止められていた時代のあったことがわかる。境内にあった牛の像にもそうした背景があったのだろう。
この伊甚神社の祭神は、大年神、稲倉魂命と武御名方命だそうで、先の二神は稲にかかわるので、味わいのある御田植神事が行われていたのも頷け、今は無いのが惜しまれるばかりである。
なお、この伊甚神社は江戸時代に近隣の他の二つの社がまとめられたといい、伊甚神社には元宮があって、宮司によると現在の位置から伊志見川を500メートルほど遡った道路から見ると川向こうの山中という。ただし、『出雲国風土記』の研究書である『出雲国風土記註論』は、伊甚神社の鎮座地は近世を通して動いていないようだとしている。(ライター 三代隆司) 

参考資料
『宍道町史』 通史編下巻 宍道町史編纂委員会編 発行 宍道町 2001年
『式内社調査著報告』 20巻 式内社研究会編纂 発行 皇学館大学出版部 1983年
出雲国風土記註論 著者 関和彦 発行 明石書房 2006年


この 伊志見國造が祀った神社 に関してGoogleMapで検索できる緯度経度を以下に示します。

伊甚神社 35.391949, 132.879198
元宮周辺 35.387127, 132.880405




本殿背後に鎮守の森があり境内も広い

本殿、手前は境内社

丸みをおびた石が地面に置かれている

雨乞い石

崩れた鼻のあたりの石を牛の顔にあてがってみた写真

牛の石像

竹の生い茂る山すそ

元宮跡は正面の山中