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謎多き伊保神社

なぞおおきいぼじんじゃ 

見る知る出雲エリア平成時代

伊保(いぼ)神社と刻まれた石碑の撮影をし終わると、鳥居の近くに軽トラがやってきて、降りてきた60代と思われる白髪の男性が鳥居をくぐった左手にある大木の幹に何やらふり撒いて、手を合わせるとタッタッタと石段を駆け上がって行った。鈴を鳴らす音や柏手の音が聞こえてしばらくするとこれまた軽快に降りてこられたので、尋ねてみると、近所ではないが、ここはお願いが叶うので、良く来るところだと。


撒いたのは米で、この大木ではなく足元の丸い石に差し上げたという。なぜ、石にも米を供えるのかというと、それは宮司さんがお祭りの時には、この丸石にも手を合わせられるからだという。
私はこの伊保神社の急な石段を慎重に上った。100段近くを上がり切ると、拝殿まで数メートルで、その拝殿の前には高さ30センチぐらいの縦に長い楕円形をした石が、台座の上に置かれていた。近づくと拝殿の壁には「御神石 手で触れて祈念してください 不思議なパワー(力)が得られます 宮司」と書かれていた。周りには河原にあるような丸い形の小石が数多くお供えされていた。
ここは『出雲国風土記』に加佐伽社(かさかのやしろ)として載る神社で、祭神は阿菩大神(あぼのおおかみ)という。拝殿の横の壁に伊保神社略記が掲げてあった。それによると、「御祭神阿菩大神(伊保大神)の鎮座年代並びに御系統は不詳であるが、古史成文、古代系図には焼太刀守大穂日子命(やきたちのかみおおひこのみこと)として記載されている。由緒として播磨風土記、万葉集に著名なる即ち播磨風土記に云う大和(奈良県)の平野に香具山(かぐやま)、耳梨山(みみなしやま)、畝火山(うねびやま)の三山がそびえている。その香具山が畝火山を愛し、又耳梨山も畝火山に心を寄せており香具山と耳梨山が激しく争うことになった。
出雲の阿菩大神がこれを聞かれて自分が行って諌(いさ)め止めようと思い立たれ、葺(あし)船に乗って播磨国揖保(いぼ)郡(現在の兵庫県揖保郡揖保川町)まで行かれた時、大和からの使者によって闘いが止んだと聞かされた大神は切角やってきたのにと乗って来た船をそこに覆(ふ)せ、いぼをふられた(不満に思う)。その処を神亨(かみおか)といって現在もその地名が残存している。<以下略>」とあった。
なんと、「揖保之糸」で有名なそうめんの産地と繋がりがあったとは、驚いた。それに大和三山の諍(いさか)いは万葉集にも二首登場しており、詠み人は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ:天智天皇)で、彼と妻の額田王と弟の大海人皇子(おおあまのおうじ:天武天皇)の三角関係を読んだ歌だというので、これも驚きである。
島根県神社庁のホームページには伊佐賀(いさか)神社と載っている。大和三山の諍(いさか)いを止める伝説によると言われているが、伊佐賀に因んでは、この神社の祭神が古代においては、出雲国造の祖である天穂日命の孫にあたる伊佐我命という説もあるようで、近くの曽枳能夜(そきのや)神社の祭神である伎比佐加美高日子命(きひさかみたかひこのみこと)や伊甚(いじん)神社にも、出雲国造にまつわる伝説があって、まさに出雲国出雲郡出雲郷に所在する神社らしさを感じる。
また、焼大刀火守大穂日子命は、延喜式神名帳の出雲国神門郡に鹽冶日子命御子燒大刀天穗日子命神社とあり、 塩冶毘古命の御子神のようだ。塩冶彦はアジスキタカヒコの御子なので、オオクニヌシの曾孫になるのだ。小さな神社であるが話題性に富んでいる。
さて、略記にあった「いぼをふる」は、出雲弁で不満に思うことの意と言われているのだが、風土記研究者の関和彦氏は、昆虫のカマキリが皮膚病のイボを噛んで取るといい伝えがあって、そのカマを振り上げて怒る姿を示すので腹を立てることを「イボツル」といい、「いぼふる」は「イボツル」の類語であろうとしている。
さらに、関和彦氏は、イボは皮膚病の一種で、そのような出来物は古来「瘡(カサ・かさぶた)と呼んだので、風土記の名称「加佐伽社(かさかのやしろ)」はそこから来ており、のちの「イボ」は「カサ」が転訛したのではないかという。また、この地域の絵図に「イホ岩」がみえ、磐座の可能性もある。としている。
島根県神社庁のホームページにある由緒には、「本殿はなく岩倉である。」と書かれている。
拝殿の背後に回ると確かに本殿は無いが垣根があって、その中に2本の木が生えていた。御神木なのか?と不思議に思いながら、拝殿の背後の山を見るが大きな岩など見えない。磐座(いわくら)はどこにあるのか。あるとすれば、それが「イホ岩」なのか謎は深まるばかり。
そこで、宮司宅に電話をして聞いてみた。「伊保神社の磐座は、あの垣根の中の木の下にあって土で覆われていると聞いており、自分も岩は見たことがない。上に生えた2本の木は榊で、依代(よりしろ)ということになります。山は、今は樹木が多くなったが自分が幼い頃は山のあちこちに岩がゴツゴツしていた。あの山全体が御神体なのです。ただ、イホ岩のことは知らない。」とのことだった。
謎が多くとうとう三度目の伊保神社参拝。山全体に岩がゴツゴツしてあるのかと、拝殿や他の建物の周囲の斜面や地面を良く見ると、20〜40センチ程度の丸っこい石がいくつも発見できた。石段を降りた鳥居のまわりにも、大木の根もとの丸石だけでなく、あっちにもこっちにも丸っこい黒い石があった。しかし、あの御神石ほどすべすべではない。
手のひらに乗るほどの石を取り上げてみるとズシリと重い。金属成分でもあるのかと、その石から豆つぶほどの石を砕いて持っていた磁石を近づけると、なんと磁石にくっついたのだ。石は磁鉄鉱が含まれる溶岩が砕けて固まったものかもしれないと思い、後で地質図を調べると、神社のあるあたりは安山岩、火山砕石岩の溶岩からなる地層だった。
山が御神体というのなら、今度はその全容を見ようと鳥居の前を流れるヤマタノオロチ伝説で有名な斐伊川の川向こうへまわって、神社の対岸から山を見た。するとそれは綺麗な台形をしたまさに神名火山と思える美しい山容だった。イボ(かさぶた)のたくさんある山からその丸い石が風化してポロポロと取れて転がるのだから。病気平癒のご利益が感じられる神名火山だったのだろうと納得できた。(ライター 三代隆司)

参考資料
『式内社調査著報告20巻』式内社研究会編纂 発行 皇学館大学出版部 1983年
『出雲国風土記註論』著者 関和彦 発行 明石書房 2006年




4メートルぐらいある拝殿の2倍ぐらい高さで青々としている

本殿は垣根の内に榊の木 

灰色をした縦に長い楕円形

御神石

鳥居の付近にあった黒っぽい丸い形の石

いくつもある丸っこい石

きれいな台形をした山の形はまさに、かんなびやま

対岸からの伊保神社のある山