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三瓶山は出雲国風土記では佐比賣山

さんべさんはいずもこくふどきではさひめやま 

見る知る大田エリア平成時代

 三瓶山は主峰・男三瓶(1126m)をはじめ、女三瓶(957m)、子三瓶(961m)、孫三瓶(907m)、太平山(854m)の峰が連なって、室の内と呼ばれる火口を囲んで環状に並んでいる。中央部には直径約4.5kmのカルデラがあり、その中にはいくつかの溶岩ドームと室の内池と呼ばれる火口湖がある。約10万年前から活動を開始し、頻繁に爆発的噴火活動を行なってきた火山である。


 『出雲国風土記』の冒頭にある国引き神話では、ヤツカミズオミヅヌは海の向こうに余った土地があるのを確認して、童女(おとめ)の胸のように幅広い鋤を手にして、大きな魚のエラを一気に突くように土地をぐさっと断ち切り、割り離して、三撚り(みつより)になった強い綱を掛け、霜枯れたつづらを手繰り寄せるように手繰り寄せ、河船を引くようにもそろもそろと引きずり寄せながら「国来(くにこ)、国来」と云って引き寄せて来た国は、小津浦の切れ目から西側の杵築の御崎の地塊である。そしてそれを固定するために立てた杭(加志:かし)は、石見国と出雲国の境にある名前は佐比賣山(三瓶山)である。その時引いた綱は園の長浜である。と語られている。
 現在の出雲大社のある園の長浜の終端となる稲佐の浜からも、緩やかにカーブした長い砂浜の向こうの山並みにポッコリと顔を出す三瓶山を見ることができる。この山は出雲の宍道湖岸からも見える山である。国引き神話のもう一つの杭である鳥取県の大山は出雲富士と呼ばれて、シャープな形をしている。それに比べれば三瓶山は丸みを帯びたふっくらとした女性を連想させる山容と言えるだろう。
 その山が杭として登場する佐比賣山(三瓶山)は、古代にはどのように思われていた山なのであろう。佐比賣山のサヒメが登場する伝承がある。民俗学者の白石昭臣氏が著書「物部神社の古伝祭」に書き記した部分を引用すると「ソシモリ(韓国)にオオゲツヒメという五穀の神がいた。荒ぶる神に斬り殺されたがそのとき頭から馬、目から蚕、鼻から大豆、腹から稲、尻から小豆、陰部から麦が出た。末子のサヒメはこの種を持って赤雁にまたがり、高島、佐比売山(権現山、比礼振山ともいう。現益田市に属する。山麓を種、乙子という)などを経てこの三瓶山にやってきた。そして五穀の種を播き、作物を作ることをひろめた。(注、男三瓶の西に赤雁山がある)。」としている。氏は、他の伝承も併せて紹介、解説し、石見では三瓶山を中心にして農耕文化が開けていき、それに伴う伝承が生まれたのだろう述べている。
 『出雲国風土記 注論』で関和彦氏も佐比賣山について述べている。『播磨国風土記』や『日本書紀』を引き合いにして、「佐比」は女神を祀る為の祭具であり、鋤(スキ)であるとし、国引き神話に登場する「童女の胸〓(スキ:〓は金へんに且)」に思い至るならば、「佐比賣」とは「鋤を持つ乙女」という表現だろうと述べている。
 「山から滲み出る水の恵み」に書いたように、佐比賣山は八方に水を湧出し、肥沃な土地を形成し、農耕が盛んに行われる地域を生み出したと思われる。まさにその源流、起源たる山は、農耕や水路を穿つにも使ったであろう鋤を持つ乙女・女神としてイメージが結ばれているのではないだろうか。
 さて、佐比賣山は国引き神話で土地を固定するために立てた杭の加志であったとされている。その加志とは船に積んでおく船具で、船が陸に着岸したときに、陸地に打ち込んで船を固定するものだったと関和彦氏は指摘し、島根半島全体を舟とする出雲びとの発想があったのであろうか、と言葉を加えている。
 この出雲の地に海から渡来した人々には、加志となった佐比売山と火神岳(現在の大山)は日本海に浮かぶ舟からよく見えたであろう。その時、島根半島は大きな舟に見えたかもしれない。そんなふうに陸地が少しづつ見えて来た時の思いはどうだったのであろうか。大きな山が二つある新天地に着岸して大地に立ち、加志を打つ時の気持ちはいかばかりであっただろうか。

参考文献
白石昭臣 島根県物部神社の古伝祭 1983年 古典と民俗学の会
関和彦 出雲国風土記 注論 2006年 明石書店




三瓶山の西からの遠景

三瓶山、左から男三瓶、子三瓶、孫三瓶

山頂からカルデラの内側を臨む

男三瓶からの火口湖の室の内池が見える

国引きの綱といわれる弓なりの白砂海岸、園の長浜

出雲大社近くの奉納山から見た三瓶山

サヒメル(三瓶自然館)の外観

主に三瓶の自然を紹介するサヒメル