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大正の頃まではこのような感じでした。俥(くるま)もここにとめられていました。
大正年間の境内整備までは、参道の両側には田が広がっていました。
参道真ん中の道は、神の道とも呼ばれて、永く一般の人の通行はできませんでした。今ではそのようなことはありませんが、神様に遠慮されるならば・・・・
鳥居向かって右側の柱に彫ってある文字をよく見ると、出雲大社(杵築大社)の祭神はスサノヲと記されています。実は、中世においては出雲大社の主祭神はスサノヲで、その名残がここに残っているのです。
大正年間頃の境内の様子です。写真の拝殿は昭和28年に焼失しています。
旧暦10月17日の神送神事は、十九社からヒモロギに神々を迎えて、拝殿内で行われます。拝殿での神事にあわせて本殿前の楼門の扉を3度叩くことによって、神々は出雲大社を後にします。
12月27日のこの井戸に対する神事。祝詞を奏上した後に、宮司は神楽歌にあわせて、手にした榊葉を大きく回す舞を行います。
特別参拝などの場合を除いて基本的には門内には入れません。ただし、神在祭や正月三ケ日には門内に入ることができます。
出雲大社本殿の中は真ん中に心御柱があるため「田」の字の形をしており、神座は右奥にあり、したがって、神様は西(海)側を向いています。
この石囲みの場所で、かつて様々な芸能が行われていたのです。
会議(神議り・かみはかり)の場所は大社から1km西、国譲り神話の舞台、稲佐浜近くにある上(仮)宮です。ここでも神在祭が行われています。
素鵞社は地元では「素鵞さん」と親しまれ、スサノヲが祀られています。地元の人は拝礼後、後ろにまわり、社に肩をあてると肩こりがなおると伝承しています。
庁舎の裏に回ってみよう。大きな突起があります。ここは階段室で、明かり取りの役目を果たしています。この建物の特徴的な部分です。また、トイレが別棟にあるが、これは建て増したのではなく、菊竹さんが一体として設計したもの。なお、コンクリに注目すると、ナットにも神紋が刻まれています。
一般に塀の白い線は格を示すものとされ、五本線が最高位のものとされています。また国造家の反対側を見てみましょう。理由はわかりませんが、ここだけ建物の壁が朱色(ベンガラ)で塗られています。
組物には「二重亀甲に剣花菱」の神紋が浮き彫りになっており、欄間には龍、背面には鯉が彫られ、桃山風の彫刻の面影を残しています。
出雲教では、めずらしいハート型をした絵馬を求めることができます。想いは届くでしょうか。
夏を無病息災で過ごせるための神事とされます。出雲の森から御手洗井までは30cm間隔で砂が盛られ、この上に真菰が敷かれて、その上を宮司が歩きます。この時用いられた真菰は病気や害虫を防ぐと信じられ、参詣者が持ち帰ります。
樹齢約1000年とされます。高さ17m、根本回り12mで、根が2m程度根あがりしています。
島根の名水百選に選ばれています。11月23日の出雲大社の古伝新嘗祭の「歯固めの神事」(国造が小石を噛む神事)では、この井戸の小石を用いることになっています。
出雲大社の本殿に向って左後方に、主祭神であるオオクニヌシの「大国(だいこく)神像」が359体も展示された彰古館がある。本殿の姿が美しく望める場所であることもあって、大正3年(1914)に出雲大社の宝物館として造られたこの木造建築に目を留める人はほとんどいません。近づいて玄関の引き……