のあるコンテンツは、島根県立古代出雲歴史博物館の展示または館内施設に関するコンテンツです。
平安時代の出雲大社の高さは48m? この模型は、巨大柱の発見(2000年)前に、平安時代(約1000年前)を想定して設計された1/10模型です。その当時、高さが16丈(約48m)、階段の長さが1町(約109m)あったという伝承があります。
■常設展示
2000年に出雲大社から発掘された巨大柱が支えていた本殿はどのようなものだったのでしょうか。 5人の建築史家が1/50スケールで再現した模型です。最も大きいもので高さ48m、最も低いものでは高さ24mで復元してあります。資料の見方によって復元する形は異なってくるのです。
現在の出雲大社の千木の大きさはどれ位? この千木・勝男木は、昭和28年(1953)の遷宮の時まで、実際に使われていたものです。材質は杉です。千木の長さは8m30cm、重さは約500kgの巨木です。出雲大社の本殿の一部を間近で見られる唯一の場所かもしれません。
古代(奈良時代)の市場では、どのようなものが販売されていたのでしょうか。 入海(現在の中海・宍道湖)でとれた魚、山でとった動物、薬草をはじめ、農作業に用いる道具や土器なども販売されていたと考えられます。支払いにはお金も使っていたようですが、米や布などがお金のかわりをしていまし……
青銅器は何に使われたのでしょうか 荒神谷の青銅器国宝、加茂の銅鐸は重要文化財に指定されています。これが展示室一面に展示されている「緑の空間」は圧巻です。この青銅器ですが、何に使われたのかはよくわかっていません。一説によれば、豊作の祈願など、祭で用いられたとされています。
卑弥呼の鏡?! 鏡の縁が三角形をしており、裏面に神獣の姿があることからこの名があります。この鏡には「景初3年(239)」を含む41文字が刻まれています。『魏志倭人伝』によれば、この年、邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送り、魏から銅鏡100枚を授かったとあります。もしかするとそのう……
本当に古墳時代の大刀? 本当です。出土品の鉄刀というと、錆だらけの姿を思い浮かべる方が多いでしょう。しかしこのかわらけ谷横穴墓出土の1400年前の大刀は奇跡的な保存状態で見つかっています。刀身だけではなく、鞘もその模様がわかるほど完全に残っていました。刀は今でも切れそうです。
なぜ「御取納」丁銀と呼ばれているのでしょう この銀は、今からおよそ450年前、正親町天皇(おおぎまちてんのう)の即位の時に、毛利氏が献上したものです。即位式の費用として納められた特別の貨幣だからこの名があります。「御取納」の刻印をもつ丁銀は現存唯一ともいわれています。
三瓶の縄文杉の年輪はどれくらい? 樹齢は約450年です。1998(平成10)年、三瓶山麓の小豆原地区(大田市)から、3600年ほど前(縄文時代後期)の巨大林が発見されました。資料はそのうち1本の輪切り標本です。
一畑電車の運転席に座れるの? 座れます。非常に狭い運転席の前には、旧北松江駅から旧大社神門駅までの運転席からの景色。まるで自分で運転しているような気持ちになれます。また車内では昭和30年代の懐かしい映像。ちょっと想い出にひたってみませんか。
「かわりばんこ」という言葉はここから出たの? ふいごを踏む人を「番子」といいます。一説によれば、番子が交替でふいごを踏み、炉に風を送ったことから「かわりばんこ」という言葉が出たといわれています。展示の天秤ふいごは実際に踏んでいただけますので、作業の大変さを体感していただけます……